私たちが生活を営み、情報を手にする媒介のほとんどはテレビや新聞である。それらを総じてメディアと呼ばれ、家にあるインターネットからフジテレビなどの大きな組織を含め様々な媒介が存在する。昨今においてはインターネットの普及率が90%超の情報社会であることから人々が常に情報と向き合っていることとなる。多くの人は多様かつ大量の情報を接しないで生きていくことは不可能となったのだ。そのような社会だけにこそ、信ぴょう性のない情報が錯乱しており、今後人々には高度な情報リテラシーが求められるに違いない。さらにインターネット上のフェイスニュースに限らず、公共機関であるテレビにおいても一つのトピックを批判的に取り上げることで人々を一つの世論に意図的に集約することがしばしばある。「テレビだから信用できる」という考えは危険であることを理解してもらうことが重要である。何と言っても報道機関は第四の権力を保持しているからだ。そのため過去の報道やジャーナリズムのあり方をひもとくことで人々への影響を明らかにするべきである。
本書でも記されているようにメディアの影響を検証するには、現実には歴史研究の手法以外では困難である。メディアにおける文法未だ新しいものは存在しない。そのためニューメディアなる文法は過去のメディアと同一的なのだ。メディアの特性を知るにはメディア史しかないことから、過去の報道やジャーナリズムを元にして検証する意義は果たされる。
先述に書いた通り、一つのトピックを批判的に取り上げることで人々の意見を意図的に集約するということは報道ではよくあることだ。例えば凶悪事件やテロなど悪者がわかりやすい事件をテレビが取り上げる場合、加害者が非難の対象になるように意図的に設定されてしまう。加害者の動機や加害者を取り巻いた貧困などの環境を無視し、「加害者=悪」という印象を視聴者に植え付ける。
このような報道は偏向報道と呼ばれ、ある特定の立場からある事象の否定もしくは肯定する意図を持って報道することだ。いわゆる情報操作である。
実例を出してみるとの2016年の東京都知事選での報道は偏向的であったと言えよう。先の選挙では「崖から飛び降りる覚悟」と発言しメディアの注目を浴びた小池百合子氏が楽々当選した。当然の結果だと言える。選挙には18人出馬したが、小池百合子氏、自民候補の増田寛也氏、野党共同候補(市民連合)の鳥越俊太郎氏3人が主要候補ばかりメディアからのスポットライトが照らされた。選挙報道で3人に当てられた割合は約97%、他の候補者15人に当てられた割合はわずか3%である。主要候補に比べ知名度が劣る候補者に対してメディアによる風当たりは強く、選挙戦も始まってわずかしか経過してないのにもかかわらず彼ら15人は泡沫候補扱いされた。さらにメディアは小池百合子氏が「都議会のドン」こと内田茂氏との対立を過度に演出したことによって小池旋風を巻き起こした。内田茂氏の右腕である川井しげお氏が挨拶にきた小池百合子氏の握手を拒否したことを大々的に報道した。こういった報道もあり、川井しげお氏が所属している自民党東京都連は大きなイメージダウンが余儀なくされた。本来選挙とは政策の良し悪しを選ぶものであるのにかかわらず、小池旋風を作り上げた報道はイメージを重視しているとしか考えられない。結果としては、このような報道が小池旋風に追い風を与え、自民党は都議選で歴史的大敗を喫す。
偏向的であった小池旋風の演出は従来のメディアが作りあげた方式から当てはまる。先述した通り、過去のメディアの方式と現在のメディアの方式は共通している。そのためメディアの特性を知るためにはメディア史を知る以外方法はないと述べた。小池旋風のようなイメージ重視の報道に多くの人が注目したのには情報を発信する媒介がテレビであったからだ。このような効果はメディア史を遡って見ても共通した事象があることがわかる。それは1945年8月15日正午にラジオ放送された玉音放送である。天皇陛下によって朗読されたのは「詔書の内容」だが、当時リアルアイムで放送を聞いていた国民の関心を集中したのは「玉音の印象」の方であった。玉音放送の「詔書の内容」はラジオ放送の内容であり、「玉音の印象」はラジオ放送という形式であることから「玉音の印象」の方が聴取者に印象を植え付けた。つまりこれから言えることは「内容=意味」の理解は二の次であり、「形式=音声」の方が重要だったのだろう。
テレビ報道が小池百合子氏と古き政治を象徴するドンとの対立を演出したことが小池旋風の生み出すこととなり、玉音放送はラジオにより放送され「詔書の内容」よりも「玉音の印象」の方が聴取者の関心をひきつけた。
メディアの特性として、書物・新聞のように「内容を伝達する」活字メディアと違い、ラジオ・テレビのような電子メディアは「印象を表現する」特性が強い。 このような特性を踏まえ、小池旋風や玉音放送などのイメージ重視の情報では電子メディアを媒介したものである。
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