戦争での不条理 「野火」

 「野火」は第二次世界大戦末期にフィリピンのレイテ島に残された兵士の物語である。そこでは、敗戦が決定的となった日本兵の葛藤が記されている。「野火」の物語では戦中に関わらず、結核を患っている田村一等兵を中心とした物語構成をしている。彼は結核発覚時、部隊から追い出されてしまう。戦争において病人は動けないお荷物になるからだ。仕方なく、彼は部隊から芋6本をもらい指示があった通り病院へ向かう。病院へ向かっている最中に見かけた「野火」。彼が森を駆け抜ける先に必ず存在していたのだ。私はとても興味深いと思った。本書では記されてないが、彼が本能に赴くままその場所へ向かったのか、それとも「野火」の見えざる引力によって導かれたものなのかとても気になった。本作品のタイトルとなった「野火」が彼にとって運命的なモノであったことは確かでしょう。その後、寄り道もしながら病院付近に到着し、幼馴染の安田と出会う。幼馴染の安田や付近に群がる病兵たちは病院に入ることさえ許されない。戦時では病院は収容できる人数のキャパシティが限られているため全員が治療を受けることができるわけではない。安田たちもこのように治療を受けることが許されなかった。どのように治療を受けられる人の選別を行うのかというと、持っている食料の数だ。「野火」での物語の中でこの場面が一番印象的だった。この場面は人間社会が冷酷であったこと。弱肉強食といういかにも原始的な論理が働いていたか実感した。気づいてみれば、部隊にも共通していた。田村一等兵が部隊で結核になった際受けた仕打ちと同じではないか。病兵は足手まといになるだけで、食料ばかり消費するお荷物である。病院にとっても十分な食料を持参しない者はお荷物であり、今後の運営するにあたって多大な影響を及ぼす。

 この物語には、他にも残酷な場面がある。食料が枯渇するレイテ島では、人の肉まで食べてしまうことまであった。永松は安田に対して「俺がお前を殺して食うか?お前が俺を殺して食うか?」と言い、結局安田が殺され食べられてしまう。このように冷酷な場面はたくさんあった。しかし私はその中でも病院へ行けなかった兵士の話の方がとても感心深かった。

 それは現代に生きる自分が経験したこと共通していたからだ。小学5年生の時に少年野球で練習のメニューから外され、小学6年生のバッティング練習の球拾いばかりさせられた。実力のない自分が練習に外されるのは当然だった。しかし今となりにあの時の不条理な出来事に疑問に思った。弱肉強食の社会で生まれたからには耐えなければならないことなのかもしれない。この本と出会い、弱肉強食である以上不条理であることは仕方がないと実感

ウイッスル

フリーライター 自称ジャーナリス ト レポートの代行、アドバイス行ってます。

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