日本に甚大な影響を与え、平和国家へ発破をかけた出来事から、73年を経過した。第二次世界大戦の最中、アメリカ軍によって広島と長崎に原爆が投下され、これを機に日本はポツダム宣言をすることになる。戦時の日本軍は、敵国に屈せず、降伏することはなかった。こうしたこともあり、アメリカ軍による原爆投下は、日本軍を降伏させる手段として、戦勝国を中心に正当化されていった。 現在においても、アメリカでは、少なからず大半の人は原爆を悪だとは思っていない。2015年にイギリスの調査会社ユーカブは無作為に抽出したアメリカ人1000人を対象に、原爆投下に関する面接調査を行った。日本への2回の原爆投下は、正しい決定だったとした回答者は46%に上り、間違った決定だったとした回答者の29%を上回った。アメリカは、広島と長崎に原爆を投下することによって、日本に侵攻する必要を回避したが、この原爆投下によって13万人から25万人が死亡した。しかし、原爆の使用は、戦争終結を早めたと広く信じられている。日本国民の大半が原爆投下を悪とする中、アメリカ国民の半数ほどの人は原爆の投下は正しかったと答えている。調査結果から、日本とアメリカでの戦時の原爆投下に関する認識で、大きな相違があることがわかる。しかし、そうした相違もあるのに関わらず、日本とアメリカ間での歴史認識はどのように形成されているのか。 まず日本の原爆に対する歴史認識は、広島平和記念資料館に集約されているであろう。今回、ゼミの課題図書の「戦争を記憶する」では、広島平和記念資料館の性格について記されている。そこには、「戦争を起こした責任や、原爆を投下した責任を問いかけていることとは必ずしも言えない。主体と行動の責任を問うのではなく、核兵器という兵器の廃絶と、さらには戦争の廃絶を求めることにメッセージが向けられている。犠牲の記憶は、他の事例では責任者の謝罪や処罰の要求につながることが多いが、広島の平和運動では、軍事行動をとった相手方への謝罪要求ではなく、兵器の破棄が求められている。この独特な性格は、戦争を悪とする、反戦・不戦というメッセージ抜きにしては考えられない」とされている。こういった独特な性格は日本の教育にも大きく影響力を持っている。現在国内で行われている平和教育は広島平和記念資料館の影響は否めない。平和教育は第二次世界大戦、日本における戦争被害のことが主に取り扱われ、戦後の日本国憲法第9条の戦争放棄の理念や自衛権についてなども学ぶ。具体的に平和教育は、戦争で多くの兵が亡くなったこと、特攻隊や人間魚雷といった自殺行為の作戦、悲劇の沖縄戦、一般の民間人も空襲や原爆で被害を受け、日々の生活も食料・物資不足での苦悩。さらに「挙国一致」「欲しがりません勝つまでは」といった誤ったスローガンなど紹介されており、どれも戦時日本が行ってきたことを全否定している。そのため、こういった日本での平和教育の実施は自虐史観であるとの批判が存在する。 一方、アメリカでの歴史教育では、第二次世界大戦が正義であるとされる。アメリカは日本軍による真珠湾攻撃を受けたことにより、参戦することになった。日本やナチスによる帝国主義かつ覇権主義の動きを阻止した英雄として書かれている。そのため、戦争に関する認識は、自由や平等のための正義であれば容認されるという考えだ。 このような認識の広がりによって、日本が第二次世界大戦の加害者であることを肯定しているであろう。だが、そうした認識は、日本が行っている平和教育のみならず、アメリカの教育の影響も否めない。アメリカの教育を分析して見ても、原爆のみならず、従軍慰安婦問題や南京大虐殺問題においても日本と反対の立場にある。近年、これに関してアメリカの見解を伺うことができる出来事が起きた。2013年5月15日、当時大阪市長だった橋下徹氏のぶらさがり取材での発言が物議を醸した。橋下氏の発言を抜粋してみると、「なぜ日本の従軍慰安婦制度だけが世界的に取り上げられるかと言うと、日本は軍を使って国家としてレイプをやっていたという、ものすごい批判を受けている。その点については、違うところは違うと言っていかなければいけない。あれだけ銃弾が雨・嵐のごとく飛び交う中で、命を懸けて走っていく時に、猛者集団、精神的に高ぶっている集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、慰安婦制度というものが必要なのは誰だって分かる。」と慰安婦制度をバックアップした。それに続き、在日米軍には性風俗を活用してほしいと発言。この発言はアメリカから反感を買うこととなり、従軍慰安婦問題は日本だけの問題であるとされた。 このように歴史認識の例として従軍慰安婦を分析して見たが、日本の歴史認識は国際社会で通用しないことがわかる。日本は島国であり、閉鎖的であることから、幅広い意見を聞く機会がない。そのため、国際社会とかけ離れた歴史を認識してしまっているのではないか。今後世界中の国家と良好な外交関係を築くためには、日本自身が歴史認識を変更するべきである。原爆問題、従軍慰安婦や南京大虐殺事件、歴史的な出来事の見解は千差万別であろう。国際社会の認識からかけ離れた日本は、今まで逃れてきた問題から向き合い、謝罪することが、平和国家の役目なのである。
エクスプローラー的な生き方 人生は冒険だ。
日本の歴史認識は国際基準に変更すべき。
ウイッスル
フリーライター 自称ジャーナリス ト レポートの代行、アドバイス行ってます。
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