スポーツの魅力書けって言われたけどこれでいいのかな

 私は小学校、中学校、高校と様々なスポーツをしていた。小学校していたスポーツは野球だ。野球ではセカンドや外野、ピッチャーなどを経験することもありポジッションによって使う筋肉や考え方など異なっているため難しい面もあった。特に野球はただプレーするだけでは上手くならず頭で考えてプレーしなくてはならない。テレビでの野球中継で見られるようなトリックプレーなどまさに野球の醍醐味だと言えるだろう。野球を上手くなるのにがむしゃらに走る、体が壊れるまで投げるような練習を行うひともいますが、それだけでは上手くならない。体の特性についてきちんとした見解だったり、知見がないと効率よく野球は上手くならないのだ。小学校の時に練習でよく考えてきたからこと練習の質の重大性がわかる。中学や高校の部活動での指導者で真夏の中、部員に水一滴取らせないようなことがある。果たしてこのような練習をして部員は上手くなるのだろうか。水分を取らないことで集中力が低下したりパフォーマンスが低下して、最悪の場合死に至ることがある。私もこのような指導者と出会ったことがあり、水も休憩も取ることができなったことか倒れてしまった。初めは気合でなんとかなると考えていたが、時間がたつにつれてフラフラし始め、気づいたらグランドの上で倒れてしまった。その後病院に運ばれたが、あと少しのところで重体になるところでした。この出来事は私がスポーツを考える時に大きな影響を与えたであろう。スパルタ的な指導者が部員をコントロールするために非効率的なトレーニングを、強制するのは大変遺憾だ。そのような指導者は上手くさせたいと思ってメニューを組んでいるのだろうか。ただ部員をコントロール、支配するために非効率なきついメニューを作って、極限状態にしていく。部員たちはそのようなメニューを2度とやりたくにから、指導者の言いなりになりコントロールされてしまう。高校時代の部活動でもそのような風潮があった。高校時代ハンドボール部に属していて、顧問は強権的な振る舞いで生徒を支配していた。たとえ彼らが間違ったことを言っていたとしてもそれに従うしかない。私も誤った練習法を強制されたことで体を壊したことがある。体格差が身長20センチ、体重10キロも違う相手と筋トレメニューを組まされたことで腰を壊した。初めはそのトレーニングに疑問に思い指摘した。しかし彼らから帰ってきた言葉は「俺のセオリーに従え」。私の指摘は文句として片付けられてしまったのだ。そしてそのメニューで腰を壊してしまったが、アフターケアーもなく謝罪なんてしない。ましては学校生活で少しでもはしゃいでたりしていたら腰の調子なんか悪くないとケチをつけてくる。病院できちんと腰痛と診断されたのに。私は思った、彼らにはセオリーなんてないのだ。もし仮にその言葉を使うならば、それは意見を否定した者にメニューを強制する口実だと。

 このような出来事や部員が指導者に洗脳されたことから私は部活をやめた。  

いや単に嫌われていただけかもしれない。このような人間臭さもスポーツの醍醐味だろう。

ウイッスル

フリーライター 自称ジャーナリス ト レポートの代行、アドバイス行ってます。

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