私たちは普段生活していて膨大なる情報に触れることがある。政治や経済などのハードな分野であったり、テレビ番組やスポーツ中継など範囲は広く存在する。しかし多くの人たちはメディアと密接な関係であるのにもかかわらず、そこまでメディアの理解が足りないであると思う。メディアの役割や存在意義についての意識は少ないのではないのだろうか。メディアの役割とは報道や表現の自由、言論の自由、知る権利などを保障すること。その役割を担うのが「マス・メディア」と言われるテレビやラジオ、新聞などにあたる報道機関になる。それらの機関がこのような重要な役割を担うのも当然である。私たち一般庶民は日々の生活に追われ、常に社会の出来事にアンテナを張って、取材し、情報を主体的に手に入れることは容易ではありません。そのため、「マス・メディア」が様々な活動を通じ情報を手に入れ、専門的に扱うことが必要になる。こういったことから、メディアの存在意義とは私たち国民のために有益な情報を提供すること。それらが私たちに対し、公共性や公益性を損なうことがないような報道をすることが大変重要である。私は、このようなメディアの役割を理解が広まらないと日本のメディアは第四の権力として機能不全に陥ってしますのではないかと考えた。今後日本の報道を担う私たちが諸問題に対し自覚的でいることが求められる。以下の理由から、私はゼミナールにおける課題図書につき「メディア社会」を選択した。
本書で印象的だったのはメディア・イベントの誕生という章である。その章には全国高校野球選手権大会とメディア・イベントの関連性について記されている。全国高校野球選手権大会は今年100年の節目を迎え歴史は長い。今日では夏の風物詩となるイベントだが、そもそも新聞社が夏休みの記事切れを対応して紙面を維持するために企画されたメディア・イベントだ。このような事実から、メディアと野球は密接につながっているのだ。春の全国高校野球選手権大会の大会企画会社は毎日新聞社であり、夏の主催会社は朝日新聞社である。大会が始まって以来、大会主催会社は両社が今まで担当している。
私はこの既得権体制に危惧しなければいけないと考える。既得権体制は改革を困難にするからだ。現在高校野球では、投手の投球数は科学的に人体が耐えられる数値を上回っていることが問題となっている。この問題を解決するには春夏の大会を同時開催することが検討されているが、現状では困難だ。毎日新聞社と朝日新聞社が簡単に利権を手放すわけにはいかないからだ。
この問題が解決できない諸悪の根源はメディア同士の利権争いであることは火を見るよりも明らかである。もう一度メディアの存在意義を振り返って考えて見ると、現在のメディアに公共性や公益性を期待することはできない。健全なメディアを再建するには私たちがメディアの役割と存在意義を常に監視しなければならないのだ。
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